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「唄おう、踊ろう、恋をしよう!」:森永卓郎さんのメッセージ

3月12日の夕刻、岐阜県土岐市にある「セラトピア土岐」で開催された、岐阜県中小企業団体中央会主催の森永卓郎さんの講演会に行って来ました。「変化の時代の企業経営ー地域の中小企業が生き残るために!ー」というテーマに惹かれてのことです。切実です!

高名な経済アナリストにして芸達者な森永さんのお話しは、誠に面白くてゲタゲタ笑いながら聞いていたのですが、時々スーツと胸に浸むのです。なんて言うか、トータス松本さんの作詞作曲で吉田拓郎さんが唄った名曲「僕の人生の今は何章目ぐらいだろう」の出だしの一節の感じなんですネー。
〈よかれ悪しかれ言いたいことを全部言う/気持ちいい風を魂に吹かす〉というフィーリング・・・。
気持ちよくしゃべっている森永さんに共感してうなずいたり「違うんじゃない?」と突っ込みを入れてる中に、聞いている自分の魂が一緒に気持ちよくなってくるんです(^^;

さて、講演の基調は、やはり1979年サッチャー首相の英国に端を発した新自由主義的経済路線への厳しい批判でした。後の小泉・竹中路線のモデルともなったこの路線は、周知のように、「規制緩和」の名の下に「利益追求の自由」を極限まで推し進める政策で、とりわけ「金融緩和」と称して「カネがカネを産む」金融資本主義の暴走に火を付ける一方で、「小さな政府」の名の下に社会福祉システムを切りちじめて、いわゆる「社会的弱者」をこれまで以上の劣悪な生活環境へと追い込むものでした。
森永さんはこれを端的に「カネを稼ぐことが『正義』で、カネ持ちが『偉い人』だ」と価値づけるおかしな時代だった、と話されました。全く同感です。

30年に及ぶ新自由主義の跋扈→金融資本主義の暴走→瞬時に国境を越えて移動する巨額の投機資金、これこそが、相次ぐ原油暴騰・穀物暴騰・米国不動産暴騰の原因であり、これらのバブルが頂点に達し、なおかつ投機資金が次の行き場を失った時、避けがたく世界金融恐慌が勃発した、と森永さんは続けます。ウーン、やっぱりそうだったんだ、と私も納得です。

とはいえ、原油や穀物の暴騰と、サブプライムローンを可能にするとともにサブプライムローンの証券化によって促進された米国の不動産バブルを、投機資金の対象という側面だけで同一視することには疑問があります。なぜなら、前者には爆発的な人口増に伴って確実に増大する需要と既に限界を超えてしまった地球の供給能力との不均衡という実体的な根拠が存在するのに対し、後者は投資場所を求めてさまよう世界中の余剰資金に提供された、詐欺としか表現できない悪意に満ちた金融商品だからです。(多くの格付け会社がこの詐欺の共犯者でした。)

これに関連して、森永さんは、OPECは嘘つきで、世界の化石燃料資源はまだ150年は大丈夫だ、という趣旨の発言をされていましたが、正直、「ほんまかいなー」と思ってしまいました・・・。だって、何年大丈夫か、なんて、これから人類がどんなテンポで化石燃料を消費し続けるかにも因るんでしょ?
それはともかく、アメリカのサブプライムローン問題に端を発する今回の世界金融恐慌は、社会主義という牽制勢力の自壊に伴う資本主義の腐朽の深刻さ、を明るみに引っ張り出したともいえると思います。

さて実体経済にまで急速に波及してきた日本の大不況からの脱出方法として、森永さんは日銀券(現在流通している円札)とは別に、「政府紙幣」の50兆円規模での発行による需要創造を提言されていました。これ位ではインフレにはならないとのご託宣です。
この提案の当否についての判断材料を私は持ちあわせていませんが、森永さんが財務省のお役人にこの提案をした時には、否定も肯定もされず、ただただ無視されたと嘆いておられました。
妙に印象に残るエピソードです。

さて、講演後の質問時間に、かねてよりの疑問について尋ねてみました。「バブルがはじけて行き場をなくした投機資金は、どこで何をしているのですか?」という質問です。これは、半分は愚問でした。森永さんの回答は「お金は消えたのです。」というものでした。確かにそうです。バブルがはじけて、世界中で総額300兆円とも推測されている金融資産が「消えた」のでした。その結果、大は国や巨大金融機関から、小はささやかなな個人投資家に至るまで「お金」を失い、世界は金融恐慌に陥ったのです。

しかしながら、物事には反面があります。原油の暴騰を煽ってぼろ儲けした巨大石油資本、穀物の暴騰を煽ってぼろ儲けした穀物メジャーやおこぼれに預かった農家、うまく立ち回ってババ抜きゲームに生き残った投資ファンドなどなどが、今は息をひそめて「現金」を握りしめ、次ぎの機会を虎視眈々と待ち受けているのも事実でしょう。更に、各国で不況脱出のために投じられる巨額の資金が、再び三度「オカネ」をだぶつかせることになるのは目にみえています。そして、いずれは破綻した証券化ビジネスに代わる次ぎの投機の舞台が登場してくるに違いありません。だから森永先生も、先ほどの回答の後一息おいて、「それでもバブルは発生する。」と続けられたのです。

さて、ここから先は私の自問自答です。私が某銀行に預けている僅かな預金がどのように運用されているのか、私には分かりませんが、それには雀の涙ほどの利息もついていません。私が長い間支払ってきた厚生年金保険料が、どのように運用されているのかも私には分かりませんが、今回の金融危機によって、厚労省が管理する年金原資の相当な部分が毀損されたことは間違いないでしょう。
これまでも今も私はごく普通に税金を納めてきましたが、どう逆立ちしても、その税金が日本国憲法25条の精神に則って使われているとは思えません。そこには次のように書かれています。「全て国民は、健康で文化的な最小限度の生活を営む権利を有する。2、国は、全ての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

これらの事実はあまりにも日常化しているので、日頃は忘れてしまっている程ですが、ちゃんと考えれば明らかにおかしい。肝心な部分は全てブラックボックスの中で一部のテクノクラットによってコントロールされていて、私自身に密接に関わる事なのに手が届かない。私がそうした状況に安住してしまっていることも確かですが、多くの人にとって、社会が等身大の自分とはかけ離れたよそよそしいシステムになってしまっていることは否めない事実でしょう。私達は、そろそろこの巨大化したブラックボックスとも呼ぶべき社会システムの一歩外に出てこの怪物をしげしげと観察し、それへの全面的な依存から少しずつ自立を図るオールタナティブ(もう一つの)な道を模索する必要があるように思われてなりません。

思わぬ長文になってしまいましたが、最後に森永さんからの素敵なメッセージをお届けしましょう。
金融資本主義の後にめざすべき社会のモデルとして、100年に及ぶ戦国時代の後に花開いた江戸時代300年を想起しようというのが、その核心です。江戸300年は、平和であり、人々の生活の格差も
それほど極端ではなく、ライフスタイルにおける平等性=機会の均等=も高かった、加えて、江戸時代はほぼ完全に近い循環経済を実現していた、というのがその理由ですが、同感ですねー。
そして、地域の中小企業が生き残るために、まずは、地中海に囲まれた小国イタリアの人々にならって、体と頭を柔らかくしようネ、と言うわけで、「唄おう、踊ろう、恋をしよう!」という冒頭の呼びかけに到った、というのが今回のお話し。 いやあ、ブログを書くのも楽じゃない(^^;     (角田 記)

まじめに講演中の壇上の森永さんと、ネアカキャラで退場する森永さんの画像をどうぞ。